趣味のサーフィンと仕事の両立を宮崎で叶え、充実した毎日を送っています
目次
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移住者プロフィール
大阪府出身の寺崎将人さんは2008年にサーフィンをきっかけに大阪府から宮崎県宮崎市へIターンされました。ハワイのカフェをコンセプトとしたAlways CAFE、カリフォルニアのロードサイドをコンセプトとしたTHE GOOD DAYSを経営しています。今年は、大阪にスペインバルをイメージしたCAPTAIN COOKを出店、イラストレーターの奥様のイラストが店内を彩っています。そんなチャレンジを続ける寺崎さんへお話を伺いました。
移住の背景
宮崎へ移住した経緯を教えていただけますか?
寺崎将人さん(以下、寺崎):大阪で生まれ育ち、建設業の会社を立ち上げました。昼夜関係なく、せわしなく働いていて。ある時、疲れちゃったんですよね。荷物を車に詰め込み、着の身着のまま宮崎に旅立っていました。
どこかに行こうと思ってパッと浮かんだのが、趣味のサーフィンで何度か訪れたことのある 「宮崎」 でした。
突然の移住でご不安はありませんでしたか?
寺崎:最初の1ヶ月は、車に寝泊まりしながら就職活動でしたね。住所がない状況で、20社は落ちましたね。幸い、ある飲食関係の会社にアルバイトで雇っていただけることになりました。そこで、正社員として働けるよう店長を目指したんです。
サーフィンの時間もないくらい必死に働いて。店長になることと引き換えに、身体を傷めてしまいました。あれ?何しに来たんだろう…って改めて考えましたね。そこで「自分で」飲食やろうって。
移住後の仕事について
建設業から飲食業への方向転換ですね
寺崎:8年前、最初に始めたのが 『Always CAFE』です 。ハワイアンカフェをコンセプトにし、パンケーキを中心に楽しめる飲食店です。当時まだホットケーキと呼ばれている時代。都心でも流行っていないし、1日1食でるか否かといった具合でした。
3年くらい、上手くいかなくて。ドアを開けた後にスッと閉められる、なんてこともよくありました。車も売りました。別の仕事もかけ持ちしたこともありましたね。結構しんどかったです。
移住後のライフスタイル
気持ちを保つためのパワーチャージ法はありましたか?
寺崎:そんなとき、いつもパワーを充電していたのが 「海」 でした。波に身を任せて、無心になる。宮崎の海は空いているし、サーファーのマナーが良いんです。しかも宮崎市は、海や街、空港が、30分圏内にある。
公私共に全力で楽しめる環境が整っています。海でリセットして、また働きに行く。宮崎はそれが実現できる “理想郷” でした。
新たなチャレンジを続ける秘訣はありますか?
寺崎:「お店を流行らせるために、流行るまでやる!」 を信念にやり続けました。すると都心でパンケーキのブームが来て、間もなく宮崎でも流行りだしました。その後、2店舗目となる、本格的なアメリカンバーガーを楽しめる 『THE GOOD DAYS』 をオープンしました。
宮崎での起業は、都心では埋もれてしまうことでも目立つことができます。最近は多くの移住者が活躍し、チャレンジしやすい環境にもなっています。
ただ人口は少なくお客様の数は限られるため、続けていくことは簡単ではありません。本当に好きだと思えることを、何があってもやり続けることが大事だと思いますね。
今後について
今後の展望を教えていただけますか?
寺崎:今年は、大阪で新店舗を出す予定です。大阪へ行く度に、宮崎の広い空や澄んだ空気が恋しくなるんですよ。飲食を始める時に結婚した妻は、今県内外でイラストレーターとして活躍しています。
こんな生活ができるのも、宮崎市に移住してきたから。あの時、思い切って宮崎での生活を選んでよかった。心からそう思いますね。
出典: 株式会社FLASH CREWS代表取締役 Always CAFE・THE GOOD DAYSオーナー 寺崎 将人さん 大阪府からIターン
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