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紋別の道端で咲き誇る花々のように力強く自分らしく生きたい!

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紋別の道端で咲き誇る花々のように力強く自分らしく生きたい! | 移住生活

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移住者プロフィール

山口県小郡(おごおり)町出身の松本栄子さんは、1998年に兵庫県尼崎市から娘の真奈美さんの住む紋別市へ移住しました。松本さんの故郷は、のどかな田園風景が広がる昔ながらの“田舎” 。野花に親しみ、自然を愛でる心を育んだ故郷での暮らしを懐かしみ、50歳を過ぎた頃から、“定年後は田舎で過ごそう”という想いを持ち続けていたといいます。真奈美さんを訪ねるために初めて足を踏み入れた紋別市の印象は、「海がきれい。山もきれい。道端に咲き誇る花も美しい」。約1ヶ月の滞在で、紋別への移住の夢を膨らませていったといいます。現在は、「紋別押し花の会」を主宰し、『体力の続く限り楽しく生きたい』と語る松本さんに、お話を伺いました。

紋別市への移住の背景

移住を考えるに至ったきっかけを教えてください

松本栄子さん(以下、松本):高校卒業後の19歳の頃、夫と結婚し、兵庫県尼崎市で3人の子どもを育てながら、およそ35年間を関西で暮らしました。40歳になってから大阪の証券会社に就職しましたが、数字に追われ常に成績を求められる世界で辛かったです。

それでも定年の55歳まで働き続けましたが、殺伐とした都会の風には結局馴染めなかったですね。都会の地下街を見ても、“何かあった時はどうなってしまうのだろう”と恐くなったりもして。自然のなかで暮らすのがいちばん人間らしいと感じ、50歳を過ぎた頃から、「定年後は田舎で過ごそう」と想い続けていました。

移住先に紋別市を選んだ理由は?

松本:証券会社に入社して約10年が経ち、ちょうど定年後の田舎暮らしを考え始めていた頃でした。娘の真奈美が中学校教員として紋別で暮らし始めたんです。娘に会うために初めて紋別を訪れたのですが、海もきれい、空もきれい。

特に花が道端に咲き誇っている光景に感動しました。ノコギリソウ、カワラナデシコといった花が、コムケ湖にずらーっと咲いていたんです。そうした光景が広がっているのに、人が誰もいないことも凄いなと思いました。約1カ月の滞在で、紋別への移住の夢が膨らみました。

関西に戻られてからも、紋別で見た花々の美しさが忘れられなかったそうですね

松本:関西に戻ってすぐの頃でした。紋別で見た花々の美しさに魅了され、まだ余韻冷めやらぬ中、大阪の百貨店で偶然「押し花の作品展」があって。もちろんすぐに入会しました。それから定年退職まで約5年間、押し花の勉強を続けました。

移住に対する家族の反応

移住することに対して、ご家族の理解はすぐに得られましたか?

松本:家族に紋別へ移住することを宣言した当初、夫は『寒いから嫌だ』と反対しました。その頃、真奈美に子どもが生まれることもあり、「子守りも兼ねて一人暮らしする」って引き下がりませんでした。最後は、『じゃあ、俺も行く』と夫の賛同も得られました。

紋別市での暮らしについて

紋別での暮らしについて教えてください

松本:引っ越す時に決めた“子守りは3年間だけ”という約束を果たし、その後は趣味の押し花に没頭しました。初の個展を市内で開いてから、「押し花を学びたい」という人が集まるようになって、サークルを結成したんです。

来た当初は公営住宅住まいでしたが、知人を通して、オホーツク海が一望できる現在の家を紹介され、アトリエも開設しました。移住と同時に運転免許を取得し、道内の温泉地めぐりも楽しんでいます。

実は、田舎暮らしを決めたもう1つの大きな理由が、都会暮らししか知らない孫たちに、「田舎」を作ってあげることだったんです。毎年夏休みには3人の孫が集まり、賑やかな日々を過ごしていますよ。

出典: 花々に囲まれ、 田舎暮らし満喫

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