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25歳、東京から瀬戸内の離島へ移住。古民家宿を経営する高室夫婦の生活

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25歳、東京から瀬戸内の離島へ移住。古民家宿を経営する高室夫婦の生活 | 移住生活

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高室夫婦のプロフィール

高室理央さんは、1996年東京生まれの東京育ち。夫の航さんは、1996年北海道札幌市出身。理央さんは、田舎暮らしにあこがれる航さんと東京で出会い、25歳のときに夫婦で瀬戸内海の離島「豊島」に移住。(1年が経ち現在は、夫婦ともに26歳)夫婦で、一泊5万円の「泊まれるアート作品」、築95年古民家宿の経営をしています。来年の3月に、第一子が生まれる予定。

移住の背景ときっかけについて

移住の背景
移住の背景

Q:もともと、移住への関心があったのでしょうか?

私は東京生まれ、東京育ちで、田舎に移住したいという思いは特にありませんでした。しかし、東京のシェアハウスで出会った夫の航は、いずれは田舎への移住や多拠点生活をしたいという思いを持っていました。大学在学中に休学をして、瀬戸内の島に一年間住んで、イノシシの解体をしていたことがあり、そのころから移住への想いを持つようになったそうです。

島での生活について話すときの夫はいつも楽しそうで、私も「この人と結婚したら、いずれは田舎暮らしをするんだろうな」と思ってました。私も子育ては自然豊かな田舎でしたいと思っていたので、移住することは楽しみでした。

瀬戸内の自然
瀬戸内の風景

Q:今回、移住することになった、きっかけは何ですか?

夫は、東京の飲食店で勤めており、そろそろ自分の店を持ちたいと、物件などを探していたのですが、そのタイミングで声をかけてくれたのが、ある古民家宿のオーナー社長でした。瀬戸内海の離島、豊島にある、一泊5万円の「泊まれるアート作品」、築95年の古民家宿の経営をしないかという提案でした。

古民家宿は、2016年にアート作品として作られた宿で、4年ほど営業していたのですが、コロナで休業。そろそろ再開しようという流れでしたが、運営する人がいない状態でした。そこで、ご縁があって、私たちに話が来たのです。

25歳の私たちが、瀬戸内の離島で、自分たちの力で一泊5万円の宿を経営できる、というのは非常に魅力的な提案でした。田舎に住みたいという希望と、自分の店を経営したいという希望が両方叶えられる!ということで、提案をいただいてすぐ、私たちは乗り気になりました。

フェリーからの景色
フェリーからの景色

2021年4月に、初めて豊島を訪れました。岡山から船に乗り、初めて島に足を踏み入れたとき、なんだかなつかしいような、心安らぐ空気を感じました。豊島は人口700人程度、船でないと行けない完全離島です。コンビニもスーパーもなく、見える家は全部古民家! 穏やかな青い瀬戸内海と、緑豊かな山と森、棚田の広がる景色。豊島は本当に自然が豊かな島です。

ここなら、子供にたくさんの体験をさせてあげることができると感じ、私も豊島に心ひかれ、移住を決意しました。

港の写真
港の写真

Q:移住を決めてから、移住するまでの流れはいかがでしたか?

移住までの流れは順調とはいきませんでした。移住に関して、割と早い段階で決断した私たちでしたが、仕事の都合もあり、移住までは半年ほどの期間がありました。その間になんと、夫が、うつ状態になってしまったのです。私はこれを移住ブルーと呼んでいます。

初めての古民家宿の経営を前に、住む家も見つからず、最初に豊島を訪れた勢いが過ぎ去ると、だんだんと不安が押し寄せてきました。同時期に結婚もしたので、人生の転機が重なり、負担になっていたのだと思います。

港の写真
港から見える夕日

一方の私に不安はなかったのかというと、そんなことはありませんでした。初めての田舎暮らし、コンビニもスーパーもない離島、人間関係もうまく作っていけるのか、不安は山積みでした。

しかし、東京でもんもんとしていても仕方がない。心配なことばかりを考えるから、余計不安になるのかもしれないと思い、まだ住む家も決まっていませんでしたが、「まずは豊島に行こう!あとは行ってから考えよう!」と、移住を決行しました。

住まい探しについて

瀬戸内の街並み
瀬戸内の街並み

Q:家が見つからない状態で移住されたとのことですが、どのように住まいを探されたのでしょうか?

家探しには本当に苦労しました。当然、島には不動産屋はありません。地方に移住する際には、普通は、まずは空き家バンクを調べると思うのですが、豊島は空き家バンクへの登録もほとんどありませんでした。空き家がないのか、というと、そんなことはありません。むしろ、豊島には空き家はとても多いのです。住める家がなかなか見つからない理由は、「人に家を貸す文化がないから」でした。

幸い、私たちには経営する予定の古民家宿があったため、そこで寝泊まりしつつ、直接、家探しを行うことにしました。宿の周囲の家々を順々にめぐり、挨拶回りをしながら、出会った方に声をかけていくという作戦です。なかなか見つかりませんでしたが、一カ月ほど経つと、だんだんと口コミで、貸してもいいよ、という家の情報が集まり始めました。

幸運だったのは、 現在、私たちが住んでいる家と巡り合えたことです。この家は、もともと「貸す予定がない家」でした。そこを、ある先輩移住者が、「家なんて、ただ置いておいても管理も大変でしょう、んでもらえばいいんですよ」と、持ち主の老夫婦にかけあってくれたのでした。「あなたが言うなら……」と、老夫婦も説得されて、貸していただける運びになったのでした。これは、人づきあいがあってのことですし、本当に感謝しています。

古民家の写真
古民家

Q:島に移住して、固定費などの変化はありましたか?

家賃がかなり安くなりました。現在住んでいる家の家賃は、なんと月に1万5千円 さらに町から家賃補助が半額分下りるため、実質7千500円で住ませてもらっています。

ちなみに、東京にいたころの家賃は、二人合わせて12万円でした。そのころから比べ、かなり固定費を抑えることができました。

移住後の仕事について

移住後の仕事について2

Q:島での古民家経営はいかがですか?

経営を行うために借りた古民家宿は、一棟貸し切りの一泊5万円という高価格帯。それに見合うサービスと、料理も仕出ししなくてはなりません。夫にとって、初めての古民家宿の経営はけっこうな心理的負担だったようで、「移住ブルー」にもなってしまいました。

夫がひとりでやるのが難しいなら、二人でやるしかない。それまでは比較的、古民家経営は「夫の仕事」ととらえてしまっていた私も、それからは「ふたりの仕事」として認識を改めることにしました。

どんな料理をお出しするのか、ふたりでゼロから考えました。夫自身がさばいたイノシシ料理をメインに、コース料理を組み立てました。

古民家での食事

途中、夫婦ともにコロナにかかったり、私が妊娠のつわりにより戦力にならなくなったりと、大変な時もありましたが、夏の予約も、秋の予約も、予約をあけて一カ月足らずで満員御礼多い時はひと月で100万円ほどの売上となりました。

豊島はアート作品が有名で、アート鑑賞を目的に来島される方が多い島ですが、私はアート以外の島の魅力も知ってほしいと思い、お客様を豊島の山の頂上にある展望台にお連れして、瀬戸内の海に夕陽が沈むをながめたり、料理に使う食材の一つ一つも「ご近所の誰さんが作りました」というコメントを添えて提供したりすることで、豊島の生活や豊島に住んでいる方とのつながりを体験してもらいたいと思っています。

Q:島での仕事探しなどはどうされたのでしょうか?

移住前から古民家宿の経営をすることは決まっていましたが、それ一本でやっていくことは現実的ではありませんでした私たちが移住をしたのが11月でしたが、宿は冬は閑散期となるため、春にオープンする予定でした。そうすると、移住してから宿の営業を開始するまでの5カ月間、他に収入が必要でした。

25歳の私たちは、大して貯蓄もなく、引っ越しと車の購入、結婚等で、移住したての頃には貯蓄が底をつきかけていました。身一つ、無一文での移住です。

そこで、家探しのめどが立ったと同時に、すぐに島でのアルバイトを探し始めました。

早速、家探しの時にも相談に乗ってくれた島のレンタサイクルのおじちゃんから、障害者施設での勤務を紹介されました。さらに、公民館でも仕事探しのチラシをながめていると、受付のおばちゃんが、「保育園で職員を探しているって言ってたわ!私の孫も通ってるの。今すぐ行きましょう!」とその足で、隣にあった保育所まで案内してくれました。こうして、島でのアルバイトも口コミで探して、決まりました。

島でアルバイトをすることは、人間関係を広げることにも役立ちました。やってよかったと思っています。宿が忙しい時には休みをもらいつつ、今でもアルバイトは続けています。

離島暮らしの魅力と注意点について

離島暮らしの注意点
港の写真

Q:暮らしの良い点について教えてください

はじめは私が東京生まれ、東京育ち、初めての田舎暮らしだったので、うまくやっていけるか不安でした。しかし、いざやってみると、すんなりとなじむことができ、東京に帰りたいと思ったことは一度もありません。

引っ越しの際には、ご近所の方に様々な家財道具を差し入れてもらった上に、家に帰ると、玄関先に野菜がぽんと置かれていることも。ご近所の方からの差し入れです。島での生活を通して、「人に感謝する」ことを人生で初めて学んだ気がします。

また、お互いしか頼れる人がいないために、夫婦仲が良くなったことも移住してよかったことのひとつです。私たち夫婦は旅行が趣味なので、忙しい中でも間を縫っては、キャンプや旅行に出かけています。適度に島外に出て息抜きをすることで、島での生活をより安定して楽しめていると思います。

Q:離島暮らしだからこそ感じる不便さや悪い点はありますか?

島にはコンビニもスーパーもありません。そのため、週に一度は買い出しのために船に乗って島を出る必要があります。一番都会で品ぞろえが良い高松まで行こうと思うと、船賃だけで片道1350円かかります。車で買い出しをする場合、車はフェリーに乗せる必要があり、片道5000円かかります。

船に乗せる荷物は自分たちの手で運ばなければいけないため、重たいものやかさばるものは苦労しました。特に、私たちは宿を経営していたので、買い出しの頻度や重要性が高く、買い出しには非常に苦労しました。

移住を検討されている方へのメッセージ

Q:移住を検討されている方へメッセージをお願いします

「一生住む!じゃないと、移住とはいえない」と私は思っていました。しかし、夫は冷静に、「そういう思いをもって移住してきても長続きしない人をたくさん見てきた。できないなら言わない方がいい」と言っていました。今なら思います。夫が正しい。

私たちは、今年、子供ができました。現在、妊娠中です。この島で出産する予定ですが、子育て環境を考えたときに、ずっとこの島にいるかというと、おそらくそうではないでしょう。

でも、この島でいただいた恩に関しては、しっかりと返していかなければと思うのです。

島にいると安心しますし、まるで故郷のような安息感をおぼえます。この島に移住してよかったと思っています。私は、ご近所さんとの関わりを含めて「移住」であると考えています。それを楽しめたというのが、豊島のような限界集落に移住するということなのだと思います。

そして、ここに移住できれば、日本中のどこの地域でも移住できるでしょう。

いずれは海外に住みたいという夢ももっています。きっとまたうまくいかないことがあり、不安になったり、落ち込んだりすると思います。でも、それもきっと乗り越えられると思います。

私たちは25歳を、特別な一年として過ごせたと思っています。

これからも、もっともっと面白い人生にしていきたいと思っています。

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